
今年2026年はスズキ・メソードと大変ゆかりの深いカザルス先生が、生まれてから150年というメモリアルイヤーにあたります。そしてスズキ・メソードの創立80周年も重なる素敵なタイミングです。
そこで、チェロ科の歴史についてあらためてお聞きしたいと考えて、創始者である佐藤良雄先生についてお話いただくのに最良のお二人をお招きいたしました。
佐藤満先生は良雄先生のご子息です。良雄先生からチェロを学び、海外での留学を経てスズキ・メソードのチェロ科指導者になられました。チェロ科では5人目の指導者であり、スズキ・メソードの多くの行事の中心的存在としても長年活躍されています。
チェロ科卒業生の福田坦子(ふくだひろこ)さんは、3歳になったお子さんを学ばせるために良雄先生の教室の門をたたきました。そして、お子さんと一緒にご自身もレッスンを受けるようになり、父母として生徒としてチェロ科を支えてくださいました。
【当インタビューを、とくに推奨したい方】
・音楽や楽器が好きな方、とくにチェロが好きな方
・伝説のチェリスト、カザルスが好きな方
・クラシック音楽界の20世紀の歴史と、演奏家たちについて興味がある方
【今回の読みどころ】
1. チェロ科創設前
憧れのカザルスに手紙を書き、入門を許される
2. カザルス門下生になる
カザルス先生と、「バッハの無伴奏(チェロ組曲)」
佐藤良雄先生が大切にした、カザルス先生のレコードの演奏を再現できる奏法
3. チェロ科創設後
カザルス先生と、「バッハの無伴奏(チェロ組曲)」
父母として生徒として:チェロのほかに、たくさん教えてくださった『人生の大切なこと』
4.写真で振り返る、草創期のチェロ科
5. チェロ科創設後 (後日公開)
子どもの可能性 子どもは指導者の想像を超えて伸びていくもの
スズキの未来 チェロ科がトップ演奏者を次々輩出し、世界を席巻する背景 ~上級生にさまざまな音楽の道を広げる活動

今日は特別対談として、チェロ科卒業生の福田坦子さんとチェロ科指導者の佐藤満先生にお越しいただきました。
今年2026年はスズキ・メソードと大変ゆかりの深いカザルス先生が、生まれてから150年というメモリアルイヤーにあたります。そしてスズキ・メソードの創立80周年も重なる素敵なタイミングなので、ぜひチェロ科の歴史についてあらためてお聞きしたいと考えて、今日はセッティングさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
チェロ科創設までの歴史 良雄先生とカザルス先生
それでは、佐藤先生からお話を伺います。1946年に鈴木先生がスズキ・メソードを始められて、その後に佐藤先生のお父様の佐藤良雄先生にチェロ科を創ってくださいとお願いをなさったと聞いているのですが、その時代のことを少し教えていただけますか。
満先生
そうですね。父は元々ピアノを弾いていて、チェロを始めたのは17歳ぐらいだったのかな。カザルスのレコードを聴いて感動して、自分の仕事としてチェロを選んでやっていくって決めたのはその頃だそうです。それから修行し始めたわけですが、パリから戻ってこられたチェリストの一柳信二先生が神戸におられると聞いて、神戸まで習いに行きました。
聞き手
東京から神戸に?
満先生
そうですね。神戸で5年間修行して、ある程度修行し終えた時にリサイタルをしたいと言って東京に戻ってきて。そうしたら、たまたまね、父が住んでいた家の隣が諏訪根自子(すわねじこ)さんのお宅だったんですね。
聞き手
かの有名なヴァイオリニストの?
満先生
はい。諏訪根自子さんは鈴木先生との繋がりもある方ですけれど。根自子さんのお母さんが、根自子さんが師事していたモギレフスキーという素晴らしい先生がいるから、一度聴いてみてもらいなさいと言われてね。
それで父はモギレフスキーのところに行って演奏したそうです。モギレフスキーはヴァイオリニストでしたが、ちょうどチェリストを探していたタイミングで、カルテットを組みたいと言われたそうで、そんなきっかけでアンサンブルも始めました。

モギレフスキーと佐藤良雄 写真提供:佐藤満先生
チェリスト佐藤良雄は、超一流の音楽家たちと交流し演奏活動をしていた
それで、ちょっと前後しちゃうかもしれないんだけど、その時代、父は満州にも行ったんですね。
聞き手
満州にもいらしたのですか?
満先生
満州のオーケストラで仕事を始めたんです。でも満州に行ったのは、カザルスに習いたいという大きな目的があったからですね。満州から陸続きでヨーロッパに行こうとしていたらしいです。
そうしたら父の妹が病気で危篤になって、それで急いで日本に帰ってきたら、今度は戦争が始まりそうになって、満州に戻れなくなって。それで日本に留まっていたんです。
ですから、日本にいる間にモギレフスキーとの関係から、父と鈴木先生はどこかの時点で面識を持ったと思うんですね。

佐藤良雄先生と交流のあった音楽家たち
チェリスト一柳信二氏は1924年に渡仏、パリ国立音楽院でチェロと理論を学ぶ。当時パリではカザルスが盛んに演奏活動を行っていた。1928年に帰国、ドイツ音楽が主流であった日本で、フランス音楽留学の草分け的存在となった。活発な演奏活動を行い、フランス・チェロ音楽の紹介に努力した一方、モギレフスキー氏、荒木和子氏とピアノ・トリオを組んで、室内楽の演奏も盛んに行なった。
佐藤良雄先生はじめ、多くのチェリストを育成した。ご子息はピアニスト・作曲家の一柳慧氏で、最初の奥様はオノ・ヨーコ氏。
1930年に開校した帝国音楽学校で、同校設立の中心となった鈴木先生とアレクサンドル・モギレフスキー氏は、ともにヴァイオリン指導教授。諏訪根自子氏は、日本人初の国際的ヴァイオリニストで、帝国音楽学校に在籍した。
モギレフスキーについて(大正・昭和の音楽学校 東京藝術大学アーカイブ)https://archives.geidai.ac.jp/files/y100/100yh_mus02_110.pdf
諏訪根自子について(日本コロンビア株式会社)https://columbia.jp/nejiko/

佐藤良雄先生 憧れのカザルスに手紙を書き、入門を許される
満先生
1951年のことですが、TIME(タイム)誌の表紙に、カザルスが女性のレッスンをしている写真が載ったのですが、父にはそれが少女に見えたらしいです(実際には少女ではなかったそうですが。)
こんな女の子もカザルス先生は教えてらっしゃるのかと、それなら自分も教えていただけるのではないかと考えて、一念発起して手紙を書きました。
自分がチェロを一生の仕事にしようと思ったのは、先生のレコードを聴いたのがきっかけだというとこから始まって、是非教えていただきたいとお願いする、長い手紙を書いたらしいです。
南フランスのプラードにおられることはTIME誌でわかったけれど、詳しい住所まではわからない。宛先を「プラード、カザルス先生」として送ったところ、カザルスから返事が戻ってきたんです。
カザルスはもう公には演奏しなくなっていた、あの時代だったものですから。
聞き手
それは、世界が平和になるまで演奏しないという宣言のことですか?
満先生
カザルスはスペインを独裁していたフランコ政権に反対して、公にはもう自分は演奏しないって宣言して、プラードで隠遁生活をしていました。そこで1日に1人だけ教えていらしたんですね。だから生徒は5人いたのかな。
来年だったら1人、オーストラリア人の生徒が帰国して空くから、そしたら来てもいいよという返事をもらったんです。それで父はもう喜んで、向こうに行く準備をして。
父が鈴木先生に誘われたのは、ちょうどその頃ですね。自分はカザルスのところに行く計画があると話したら、それでは戻ってきた時に才能教育(スズキ・メソード)でチェロを教えてくれないかと、そういう話になったようでしたね。
聞き手
記録によると、1951年にカザルス先生のところに訪問されて、以降2年半にわたってご指導を受けられたとあります。そんな1年間に5人しかない生徒の枠に入られたとは運命的なものを感じますね。
そしてカザルス先生に良雄先生はどんなレッスンを受けたのかというお話を聞かれたことがありますか?
満先生
1回につき2時間ぐらいレッスンがあるのかな。基本的なことも色々習ったんだと思いますが。
最初のレッスンの時に、バッハの無伴奏(チェロ組曲)を持っていったそうです。「カザルスの前でバッハの無伴奏なんか弾くのは、もう気が触れた人間ぐらいしかいないだろう」みたいなことを言ってましたね。
それで、カザルス先生の弾き方を学ぶために、名曲の楽譜を片っ端から持っていきましたね。
だからカザルスの弾き方が全部書き込まれた楽譜がいっぱいありますよ。
聞き手
それがスズキのチェロ科の指導曲集の基になっているということですよね。
チェロの音色について、カザルスから学んだことはどのようにおっしゃっていましたか?
満先生
えも言われぬ柔らかい美しい音。レコードでしか聴いたことなかった音楽を、目の前で弾いて教えてくれるんですよ。もう、本当に美しい音だったということです。
レッスンで言われたようにはすぐには弾けないしね、そうするとカザルス先生が少しこう寂しそうな顔して、でも決して怒鳴ったりしなかった、そのようにも言っていました。
聞き手
そうでしたか。そして1954年に良雄先生が帰国されてチェロ科創設に動かれるという展開になるわけですね。
伝説のチェリスト カザルスとスズキ・メソードの深い縁
カザルスin文京公会堂(カザルスのスピーチ動画)https://www.youtube.com/watch?v=5kVI7GGBy0c
1961年4月16日に、世紀の巨匠、パブロ・カザルスが来日し、文京公会堂でスズキ・メソードを学ぶ子どもたちの演奏と交流を楽しまれた様子とともに、歴史に残るカザルスのメッセージを記録したものを再編集しております。(スズキ・メソードの公式サイトで公開中です)
カザルスの有名なメッセージ「世界は音楽で救われるでしょう」は、この時のスピーチの一節です。
前後のメッセージも実にすばらしいものであり、日本人に向けて尊敬のこもった言葉も贈られています。
ぜひ動画でスピーチ全編をご覧ください。

客席でカザルスの左隣に座る男性は佐藤良雄先生
カザルスに肩を抱かれているのは鈴木鎮一先生
カザルスと、バッハの無伴奏チェロ組曲について
佐藤良雄先生が生徒に指導したバッハの無伴奏チェロ組曲の奏法について
カザルスはこの曲集を1936年から1939年にかけて録音しました。1番から6番までの全曲録音は世界初。カザルスが13歳でこの曲に出会ってから、演奏を重ね研究を深め、満を持して録音を開始したのは60歳でした。世界的な名盤として知られるレコードです。
1951年に良雄先生が初めてカザルスの前でバッハの無伴奏を弾いた時に「あなたが私のレコードを聴いて学んだのはよくわかった。これから私が教えましょう。」と言われたそうです。カザルスは指使いや弓使いを固定しなかったので、レコード録音時の演奏とは奏法が変わっていたようです。
良雄先生は広く知られたレコードの演奏を再現できる指使いや弓使いでこの曲を勉強し、自分の生徒たちに教えました。
カザルス門下生Madeline Foley氏について
TIME誌に、カザルスのチェロレッスン受講中の後ろ姿写真が掲載されたのは、アメリカ人女性Madeline Foley(マデリーン・フォーリー)。カザルスに師事したのは1945年から1952年。後日、Foley氏はバッハの無伴奏チェロ組曲集をカザルス解釈版として監修、出版。
楽譜出版社の注記より
パブロ・カザルスにとって、芸術的多様性と単調さの回避は、価値ある音楽的生存にとって最優先事項であった——「自然の法則だ」と彼は語った。おそらくこの多様性への情熱こそが、カザルスが恒久的な版を作らなかった理由だろう。
とはいえ、彼は指使いや弓使いを好みに合わせて変える一方で、根本的な音楽的価値観は生涯を通じて一貫していた。
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写真提供:チェロ科指導者寺田義彦先生(佐藤良雄門下)
今度は福田さんにお伺いしましょう。佐藤良雄先生と出会われたのはいつですか?
福田さん
息子が1972年生まれで、3歳になりました時に知人から「とにかく人柄のいい先生なので、伺ってみたら?」と紹介されました。中野に才能教育の教室がありまして、自宅のすぐそばだったものですからとても好都合で。3歳の子どもを本当に優しく教えてくださいました。
レッスンの時間は3時頃でしたが、先生はレッスンの前には必ずバッハの無伴奏チェロ組曲の6番を弾いていらして。とても素晴らしいので、息子と2人でソファーのところで静かにしていました。
息子は、いい音楽と共にお昼寝をしてしまうのですが、先生が、起きるまで待ちましょうって。それで私を相手に、いろんなお話をしてくださいました。
子どもの教育の仕方とか、音楽についてとか。それから、ご自分の昔の話。高校生の頃はピアノを弾いてらっしゃったとか。
満先生
ピアノは中学生まで習っていましたね。
福田さん
ベートーヴェンの熱情ソナタなんか弾いてたんだよって。すごい腕前ですね。それでもチェロの音がいいから、いつの間にかチェロに変えたんだって、そうおっしゃっていました。

聞き手
息子さんがお昼寝から起きて、レッスンが始まると、どんなことが印象に残ってらっしゃいますか。
福田さん
とにかく、椅子にきちんと座るということと。
それから、弓を弦に直角に置くということ。
まだ3歳ですから、ドは赤、レはレモンの色とか、色分けでテープで貼りましてね。でも、そこまで行くのは大変で半年ぐらいかかりました。毎回開放弦をザーザー弾くだけですが、楽器が一番小さい10分の1のサイズですから、音が出ないんですね。でも、息子は自分では音が出ているつもりで、それは楽しく通わせていただきました。息子は佐藤先生のことをおじいさん先生って申し上げて、お目にかかるのが楽しみでした。
そのうち、「お母さん、毎日あなたが子どもの面倒を見るわけだから、調弦したり曲を先に弾けたりできるようにした方がいい、お母さんもレッスンを始めなさい」っておっしゃって。
たまたまチェロがあるから、今日持って帰りなさいって。
「先生、申し訳ないんですが、お金を今日は持ち合わせておりません」
「そんなのいいよ、お金ができた時に持ってらっしゃい」っておっしゃって。
私より先に始めた息子の時も、同様でした。初めて伺った時に、もうすぐに10分の1の楽器を持って帰りなさいっておっしゃるんです。とてもいい楽器でした。名古屋で作られた、普通の楽器とちょっと違う、膨らみのあるような形で、今もその楽器は壁にかけております。
聞き手
その楽器は家宝ですね。お子さんが最初に使う小さな楽器は、とくに思い出深い存在になりますね。

対談を行った、スズキ・メソード 品川教室の飾り棚
福田さん
そして、佐藤先生は、生きるために大事なことを少しずつ、私に教えてくださいましたから、人生の間には色々ありますので、その時に先生の言葉を思い出すようにしておりました。
子どもだからといって、決してまやかしのものを聞かせたりしないように。
例えば、絵でもふざけたような子供向けの絵本は与えないようにして、本物を見せなさい。
そして美術館に連れて行きなさい。
コンサートになるべく連れて行って、生の音を聴かせなさい。それも、上手い人のコンサートを選んでいきなさいと。
それから、自然の中で自由に遊ばせるような工夫をしなさい。
決して、勉強を一生懸命やりなさいとはおっしゃらなかったんですね。
良雄先生の言葉:
本物を見せなさい。上手い人のコンサートに行って生の音を聴かせなさい。自然の中で自由に遊ばせる工夫をしなさい。
息子が6歳になるちょっと前に良雄先生が急にお亡くなりになりましたので、教えていただけたのは3歳から3年間ぐらいでしたね。
聞き手
それでも、3歳から6歳の人生の大事なスタート時に、良雄先生とのご縁があってよかった。
福田さん
そう、もう本当に。先生がお亡くなりになった時は、息子はもうチェロは弾かないと泣きましたね。でも、そうこうしているうちに満先生がいらしたので、教えていただくことになったんです。
聞き手
では、満先生のクラスに親子で入られたのですね。
満先生にとっては最初の頃の生徒さんになりますか?
満先生
そうですね。引き継いだわけですからね。
聞き手
ちなみに福田さんはチェロを何年間習われたのですか?
福田さん
1977年から始めて、1983年に引越で遠くに離れたので6年くらいですね。
聞き手
最後のレッスンではどんな曲を勉強されていたのですか?
福田さん
バッハの無伴奏組曲1番ですね。カザルス先生の指使いを教えていただいて楽譜に書いて。スラーもボーイングもそうです。とにかくありがたく、貴重なものです。
聞き手
素晴らしい人生のギフトですね。今はもうお弾きにならないんですか?
福田さん
いや、今もずっとレッスンは続けています。実は、昨日はレッスンでした。
聞き手
すごい。今日聞いたお話の中で、いちばんびっくりしました。現役チェリストなのですね。
私の勝手な思い込みで、レッスンを受けていたのは過去のお話かと。大変失礼いたしました。
福田さん
それほど演奏技術がなくても、楽譜を見て、弾いて、先生にお習いして、少しでも弾けるようになっていくのはとても楽しいことですし、毎日弾けば新しい発見がありますしね。
そして、コンサートに参りました時に、自分が弾いた曲などはとても楽しく、面白く聴くことができます。オーケストラに入れば、チェロだけではなく、いろんな楽器を聴きながら弾くことができます。本当にそれが人生の楽しみ。

聞き手
弾くのも聴くのも楽しみながら、研鑽を積まれているのですね。
お子さんのレッスンに付き添って、自分もレッスンを受け始めて、50年近く続けて今も現役。
なんというか、新しいレッスンとのあり方を教えていただいた気がします。
私もそれなりの年齢ですが、後輩として、全然まだまだ道半ばだなという気持ちになりました。
しかも、カザルスから直接習った良雄先生に習っているから、福田さんはカザルスの孫弟子にあたられるわけですよね。ずっとそのカザルスの系譜のまま今もあるってことですね。
福田さん
良雄先生が、「チェロの先生は誰ですか?と聞かれた時には、はい、カザルス先生の孫弟子ですと、胸を張って言いなさい」と、息子と私におっしゃったのです。
私たちはカザルス先生の孫弟子です
福田さん
良雄先生には音楽の大事なこととか、音楽の本質はどういうところにあるかとか、いろいろと教えていただきました。良雄先生がカザルス先生のところで学ばれたことを、少しずつ噛み砕いて教えてくださったのではないかと私は思っており、とても感謝しています。
聞き手
満先生も良雄先生のお弟子さんなので、今日のゲストは「カザルスの孫弟子のお二人」いうご紹介でよろしいのですよね?
満先生・福田さん
はい、そうですね。
聞き手
お話のスケールの大きさと凄みに圧倒されます。

聞き手
テーブルの上にある素敵なお写真、いくつかご紹介いただきたいなと思うんですけれども。これはいつの写真ですか。
満先生
これはカザルスが日本に来た時ですよね。才能教育で先生をお迎えした時ですね。文京公会堂です。

前列右から佐藤良雄先生、カザルス、カザルスの奥様でマルタ夫人
聞き手
これは見たことありますよ。歴史的な写真ですね。
今度は福田さんのお持ちのお写真をご紹介いただいていいですか。
福田さん
これは良雄先生がこれからおさらい会を始めますっていうご挨拶。

福田さん
こちらは良雄先生のクラスの発表会ですが、満先生もいらっしゃる時代ですね。

聞き手
今でも変わらないですね、このスズキ・メソードの発表会の景色。
満先生
これはチェロの全国大会ですね。2回目の開催かな。

福田さん
これは満先生のクラスのおさらい会です。

聞き手
佐藤満先生、チェロ科の素敵な歴史があらためてよくわかりました。今後もますますお元気に、チェロ科のご指導をお願いいたします。
福田さんも、素晴らしいお話をありがとうございました。今もレッスンを受け、毎日練習されているとのお話に感銘を受けました。さすが、カザルス先生の孫弟子です。
それでは、こちらでインタビューを終わらせていただきます。
お2人とも、本日はどうもありがとうございました。
満先生・福田さん
ありがとうございました。
(聞き手:服部享子 第55回グランドコンサート実行委員会)